なな
結婚6年目で待望の赤ちゃんを妊娠したので、悪阻が治ってきた今、記録として実践していたことや今現在困っていることなどを記録として残していきます。
2020年、東京オリンピックという特大イベントの年に妊娠出産と忘れられない年になるぞ、と思っていたら気づけば世界的にコロナの影響で生活が一変。
不安な日々を現在も続けていますが、検索して辿り着く人が1人でもいたら、きっと同じような不安があると思うので少しでも共感してもらえればなと思っています。
今回は、自分の記録として妊娠発覚から3か月目に入るまでの記録を残していきます。
3/10(5週6日)初めての陽性反応
基礎体温は普段はガタガタ状態で中々読み取れず、それでも今回は2週間以上前から基礎体温が高いような気がして、少し期待をしていました。でも過去に何度も陰性で落ち込んでいたので、陰性なら主人に言わなければ良いし、なんて気にしていないフリをしながら妊娠検査薬をその日使用。すると、初めて陽性反応。きっと嬉しくて泣くんだろうな、とずっと思っていたのに全く涙が出ず、どちらかというと驚きでポカーンと検査薬を暫く見ていました。
なな
いろいろな事を考えていたのですが、いざその時になるとめちゃくちゃ緊張して、「見てください」と検査薬を主人に突きつけるように見せていました。
「陽性反応出たよ」と続けて伝えると「え?」と主人は聞き返して、最初は理解していないポカーン顔で私と同じリアクションでした。
その後とても喜んでくれたことは覚えているのですが、正直自分自身でもビックリし過ぎてその後の主人とのやり取りをあまり覚えていませんw
主人が昭和生まれ、私が平成生まれ、赤ちゃんが令和生まれって何か凄くない?と言っていたのはなんとなく覚えています。
それでもまだ確定するには早い気もすると、週末に病院で診てもらおうということになりました。
3/14(6週3日)産婦人科へ。経腟エコーで妊娠確認
念のため朝もう1度妊娠検査薬を使用して陽性であることを確認し、いざ産婦人科へ。
妊娠したら主人と一緒に行きたいと思っていましたが、残念ながらコロナの影響で1人で行きました。でも、周りの人たちも同じ状況だと産婦人科に行くとなんだか励まされました。
そして結果としては、妊娠していると分かりました。
経腟エコーを行い、モニターを見せながら先生はここにいますよと教えてくれるのですが全く分からず、「ほへー」と間抜けな返事をしていました。
まだまだ小さいのに生きているんだと、生命って凄いなとただただ驚き。
この時点ではまだ6週目程度しか経っていなかったため心拍が確認できず、2週間後に再度検査することに。
産婦人科からの帰り道、妊娠しているんだと足取りが軽くなると共に、心拍確認ができないってことはもしかして・・・と不安もありました。
なな
初めて貰ったエコー写真。思った以上に全然わからなくてビックリしましたw白い点がそうなのかな?なんて思いつつ、まだまだよく分からない状態です。
なな
3/28(8週3日)ついに心拍確認
経過観察と心拍確認をしてもらうために産婦人科へ。
経腟エコーで確認し、やっと心拍確認ができて少しだけ安心した一方、既に悪阻がだいぶ酷くなっており常に車酔いをしているような、お腹が空いているような良く分からない気持ち悪さになっていました。
なな
そして悪阻があまりにも酷いため主人にお願いして、ついにこの日に母子手帳をゲットしました!
エコー写真を見ると、2週間前は白い点だったのが何か良く分からないけど増えてきていました。まだほんの数センチにもなっていない状態。ここから大きくなるなんて驚きです。
なな